いいか、もう。【梅干んじの日記】

暇ときにくだない事をだらだらと。日記を毎日更新中!

1月の日報 (中期)

1月12日

飯尾和樹のずん喫茶』を見た。

老舗の喫茶店に行き、ご飯やコーヒーを楽しむ番組。

いいなー。こういう昔からやってる町喫茶に入るのって、個人的にはめちゃくちゃ勇気がいるから、こういう番組や漫画を見た後の感化された時にしか行けない。行きたいなー。でも、今住んでる所の近くにはないし、遠くにわざわざ行くのも面倒いなぁ。家を喫茶風にできないかなぁ。

家帰ってからも仕事をしようと思っていたが、もうこれ見ながらアイスの実食って寝よう。

 


1月13日

flatwoodsチャンネルの編集がもう少しで終わる。しかし、あと少しを終わらせる気力がでない。

毎回BGMに悩む。BGMはつくづく不思議なものだなぁと思う。BGMだけで動画の受け取り方がガラッと変わる。場面場面に合わせた音楽が必要になる。でも、たいしてBGMを聞いてるわけじゃないし、覚えてもない。

とにかくこのBGMを探すのがダルすぎる。

いっそ、無くてもいいか、、?

いや、無音で耐えられるようなトークをしてないし、、

あーーーー!!!

と頭を抱えていると寝落ちする。

今週中には出したいなぁ。

 


1月14日

超絶久しぶりに会う友人とランチを行くことになったのだが、

「酒が無いと意味がない」「自分だけ呑むのは嫌だ。お前も呑め。」と言われ、非常に残念に思ってしまった。

私は酒が得意ではない。

もっと言うと酒を飲む様圧力をかけてくる人間が苦手だ。会社などの飲み会などでは全然いいのだが、友人関係でそれをするのはどうなのだろうか。友人も私が酒をほとんど飲まないのは知ってるはずである。いや、忘れてしまったのか?

『「酒がたくさん呑める」という事が人の良し悪しの判断基準になってる人』が存在していると気づかせてくれた人がこの友人だったのだが。

お酒の呑める人の言う、「俺が呑んでるのだからお前も呑め。」「呑みまくれば旨さが分かるようになるから呑め。」とか言う酒への圧力が、お酒が得意でない人の酒を不味くしていると早く気付いて欲しい。。。

とは言え、久しぶりの友人に会うのは楽しみだ。昔話程面白いものはない。

 


1月15日

会社の新年会があった。

色んなところから色々な人が集まっての飲み会。

やっぱり飲み会は苦手だ。打ち解け始めた頃に終わってしまう。2.3時間のうちに仲良くなって深い話をするのはかなり訓練が必要だと思う。それを平気で天性で出来る人もいるが。。

コミュニケーションは難しい。

 


1月16日

夜、「チームラボ ボタニカルガーデン」に行ってきた。

植物園と光のアートが組み合わさった空間なのだが、今は冬。照らされるのは葉の落ちた枝だけの木々。花などはほとんど見られなかった。しかし、バルーンや灯籠みたいな光のオブジェクトが沢山置いてあり触ったり、前を通ったりすると仕掛けが動き出すようになっていて、とても楽しめた。

冬にイルミネーションを見たくなるのはなんでだろうか。

気温が低いから空気の水分が少なくなって綺麗に見えるからとか、日照時間が短くてイルミネーション自体を長く楽しめるから、、とかじゃなくて、もっと人間の動物の部分の奥深くの何かが強く惹きつけられてる感覚があるのは自分だけだろうか。。

とにかく今年のイルミネーション監査は完了である。

 


1月17日

昨日のイルミネーションの帰りに、寒すぎてあつあつのドリアの店に駆け込み暖をとったのだが、その時点でめっちゃ夜になっていた。

結局、家には帰らず泊まって朝早く、なんばの街に繰り出した。

朝っぱらの都会は意外とする事がない。

モーニングのやってるチェーン店がポツポツと空いているだけ。

ウェンディーズに入り、モーニングのハンバーガーを買い、朝のなんばをボーっと眺めながら食べていた。

こういう時って、なんかこう人生の信号待ちって感じがしませんか。

人々が動き出す昼前までは赤信号。とにかく止まってやり過ごす。なんのイベントも無い空白の時間。逆に隙間時間を使って何かやろうみたいな気も起きず、じっと時が経つのを待つ感じ。

いい。。

こんな時間をたまには過ごさないと人間って壊れるんじゃないかとも思えてくる。。

みんな、一度立ち止まろう。

なんなら信号一回分くらい見送ろう。

そのくらい余裕を持って人生を楽しんでみたい。

 


1月18日

youtu.be

17日の夜にフラッドウッズchで動画を投稿した。十何年前の僕のYouTubeを兄と見てみようという企画。

黒歴史って時間経つとこんなに面白いんだなと思ったと同時に、これ関係ない奴が見ても面白いのかなとも思う。

懐かしい気持ちと羞恥心が同時に襲いかかってくる感じがして個人的にはとても面白かった。

まだまだ動画はあるからシリーズとして出していけたらいいな。

 

1月19日

youtu.be

ダウ90000のコントを見た。

いや、見たというか、流し見しながら必死に掃除をしていたので頭に全部入ってる訳じゃないが、「はっ、、」としたセリフがあったのでその部分だけ記憶に残っている。

飯原さんだったと思うが、マイナスしか口にしない人が出てきた。めっちゃリアルな演技でこういう奴いるよなぁと思ってしまった。

「お前マイナスしか吐かねぇな!」とツッコまれていたが、あれ、自分もそういう時あるぞと刺さってしまった。

あるよなーこういう時。

周辺の出来事を否定する事で自分の外殻を確認してしまう時。なんならそれがカッコいいとまで思ってしまう時。

恥ずかしい。

当たり前だけど、マイナスの言葉を吐かれても周りは全然楽しくない。

「プラスの言葉を吐くと、プラスの出来事やプラスな人間が集まってくる」みたいな言葉って子供の頃は馬鹿にしていたけど、最近マジでそうだと思う。

年をとってくると「いい人で居たい」と思ってしまう。

 


1月20日

元日から日記を書いてるが、書く事が何も見つからない日も出てくる。

今日みたいな日。

何も思わなかったわけではないし、何も無かったわけでもないが、書くほどの事は起きなかった日。

さて、どうしよう。

ぼくのなつやすみ宜しく「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」と書いてもいいのだが、、

とりえず何かないかと、スマホのメモ帳を漁った。僕はメモ帳に心に引っかかった言葉をメモしている。なんとなく心に留まった言葉を何でもかんでもメモしているのでたまに、なんだこれは?というものも混ざっている。

このメモ帳から一つピックアップしてみよう。

 

ダララララララッ...ダンッ(ドラムロール

→『この世のケーキはショートケーキのカラバリ』

 

は?

誰かの言葉だろうか。自分で作った言葉だろうか。

でも確かにショートケーキってザ・ケーキって感じするな。

「"ケーキ"はどれでしょう。」って言われて、チーズケーキ・ショートケーキ・チョコケーキ・モンブランが並んでて、ショートケーキ以外を指さしたら怒られそう。(そんな事はない)

書いていたらショートケーキが食べたくて仕方なくなってきた。

私は人生の縛りとして、ケーキを食べに行った時そのラインナップの中にモンブランがあったらモンブランを注文しないといけないと自分に枷をかけている。(普通に栗が好きというのもある、)

なんでそんな縛りをかけたのか今は覚えていないが、たまにめちゃくちゃショートケーキ食べたいなと思いながらモンブランを食べる事がある。大抵のケーキ屋はモンブランも常駐しているから、大体いつもモンブランを食べる羽目になるのだ。(美味いから別にいいのだが、)

そういえば、最近ショートケーキ食べてないな。

美味しいショートケーキが食べられるお店があれば教えてほしい。モンブランを置いている所以外で。

1月の日報 (前期)

1月1日

あけましておめでとう。

ただ、私は年末年始は半月も連勤なので、大晦日も元旦も365日の1日としか感じれない日だった。

毎年、正月に仕事をしていても、

通勤や退勤時、外に出ると「正月の空気」?みたいないつもとは違う空気感を感じれていたのだけど、今年は全く感じれなかった。

それが恐ろしい。

 


1月2日

火曜日が来てしまった。

この一週間、フラッドウッズchの方の編集は進んだが、いいかもうchの方の動画を一切作っていない。ストックもない。

仕事をしながら毎週あげる事の辛さが今になってきている。

正月だし、休むか、、いや、でも、、

みたいな感じの葛藤をしつつ寝落ちした。

すみません。無理でした。

 


1月3日

仕事終わりの夜中に家の大掃除。

連勤すると部屋が終わってくる。

特に階段は、年末セールラッシュのAmazonの箱が溢れ返り、階段の上りは掻き分け、下りはジャンプして通過していた。

人が来るので仕方なく掃除。

まずは洗濯。

しながら夕飯作り。

スーパーが開いてないので、残り物で鍋を作って凌ぐ。

その合間に食器洗い&キッチン周り掃除。

飯が出来上がり食ったら、

洗濯物を干して、風呂場・トイレ掃除。

最後に終わったリビングのゴミなどを片し、階段の段ボールを運んできて解体。

最後に風呂に入る。

一息つくと26時である。

家事は大変だ。

 


1月4日

今日も非常に疲れた。

長かった連勤に終止符を打つべく、

今日は夕飯を外で食べた。

こういう小さい贅沢を積み重ねる事が幸せなのかもしれない。

明日は初詣に行こうかな。

行けるかな?布団に沈んでいる可能性も大いにある。

そういえば聞いた話だが、

ある交通安全の神社に毎年初詣で一万円で御祈祷を上げてもらっていたそう。

しかし、ある年持ち合わせがなく、そのまま帰ったことがあった。

その年家族が交通事故にあってしまったそうで、それ以降その神社での御祈祷を忘れないようにしているそうだ。(大きな事故ではなかったそう。)

つい最近、タワー・オブ・テラーシリキ・ウトゥンドゥの解説動画を見たばかりだったのだので、神様の信仰の話しへと発展した。

神様は信仰する事で、平穏や安全を見守って下さるが、その信仰を欠いた時、罰を与える存在でもあるのかも知れないなぁと。

リターンがあればリスクもまたある。

だからこそ神様は恐れ敬われる存在であるのだなぁと。

今度神社に行ったらしっかり詣ろう。

 


1月5日

久しぶりに休み。

朝コーヒーミルを取り出してきて、

コーヒーを作った。

そして外に出た後カフェに寄りまたコーヒーを飲んだ。

比べる為、家で淹れている豆と同じグアテマラをどっちも飲んだが、

確かに同じ感じの味がする。

コーヒーを飲み比べる事はほとんどないので今だに自分にとっての「これだ!」という味が分からない。

というか、好きな味とかは無いのかもしれない。

あのカフェで飲んだ、あの時飲んだ、あの人と飲んだ、、みたいな外的要因がコーヒーの旨さに作用してる気が最近してならない。

コーヒーは味ではなく、雰囲気を飲む物だと思う。

一緒に食べたクリームをはみ出るほど詰められたドーナツ。

 

1月6日

多忙になると脳が止まる瞬間が有る。

思考にブレーキをかけられる感じ。

エンジン蒸しまくってるのに、全然車輪回ってない感じ。

ちゃんと人間の限界ってあるんだなって思う。

 


1月10日

「人間の限界ってあるんだな〜」

と書いていたが、次の日ちゃんとぶっ倒れた。

人間あんなに今詰めて働くものでは無い。

 7日、昼頃に死ぬほど体調悪くなり、冷や汗が出るほど苦しみながら仕事をしていた。顔色がガチヤバかったと同僚が言っていた。

なんとかここまではと言うところまで耐えつつ仕事して早退。

帰ってきて吐きまくって寝た。

 8日、脳も思考停止、体の寒気とだるさと痛さに苦しみながら丸一日の仕事を終え。

 9日、寒気を抑えつつ丸1日仕事を終え、帰ってきた頃にはなんとか家事ができる頃までは回復した。いいかもうchを更新して就寝。

 10日の本日は、休みだったので一日中寝ていた。なんとか少し回復してきた。飯を食えるようになってきたので、ここからは回復に向かってくれるだろう。

しんどすぎる。と言うか最近体調が薄〜くずっと悪い。体力が無くなってきているのか?と思うようになって来た。

ジムに通わなければなと決心のついた出来事であった。

 


1月11日

精神状態が少し不安定。

体調が戻り始めた合図だろうか。

談志さんがX(旧Twitter)でこんな言葉を言っていた。

『悪意は罪悪感があるから歯止めがかかる可能性があるが、正義は罪悪感がないから歯止めがきかない。』

まさに最近強く感じている事だった。

意地悪な奴ほど正義感強い気がしていたのだが、確かにこう言うことかもな。

人に物を教えたり、注意したりする時も気をつけなくてはいけない。

自分の行いに正義を感じた時、思い出すようにしよう。

 

動画リハビリ。

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昔から動画を作るのが好きだった。

 


1番最初のきっかけは兄であった。

ガラケーで撮影した、私と妹の喧嘩に実況を付けた動画を兄が作り見せてきた。

それが物凄く面白く、「僕もこんな動画を作りたい」と動画に興味を持った。

小学生の頃にビデオカメラで友達と映画もどきを作り、

高校生の頃にYouTubeに動画を上げ始めた。

そして今もYouTubeチャンネルを新たに作り動画を上げている。

 


結構前からチャンネルを作っていたのだが

定期的に動画を作る事が出来ず悩んでいた。

 

言うまでも無いが

今やYouTubeTikTok、インスタなどなど、

個人で動画をあげる事は珍しいことでも何でも無い。

 

高校生の頃、隠れてコソコソ動画投稿をしていた頃は、動画を作ってる人などクラスでは聞かなかったくらいだったのに。

 

今の時代、簡単に手軽に動画を作れる。

スマホで撮って、スマホで編集して、スマホで投稿出来る。

それもまぁまぁ重たい編集だって今では自由自在にスマホだけでできてしまう。

 

そこまでハードルが下がっているはずなのに、

高校生の頃の熱量で動画を作れなくなってきた。

仕事終わりは中々手がつかないし、

休みの日もぼーっとしていると終わっている。

趣味をしたい気持ちだけは強くあるが、

それを行う気力が少なくなってしまっている気がする。

 

なぜだ。

 


簡単に言ってしまえば"怠け"である。

「社会人は時間がない。」「残業ばっかで疲れている。」

そんなありきたりな言い訳が出てくるが、

それは理由にはならない。

現に毎日死ぬほどYouTubeを見ているのだから。社会人にも時間はたっぷりある。

 


"怠け"を潰すにはどうしたらいいか。

私は強制力が必要だと思った。

一人暮らしだとどうしても人の目がなく怠けてしまう。

無理矢理にでもやる、クオリティはどうあれ続けなければならない状況になればいいのでは無いか。

 


そこで私は新しいチャンネルをまた作った。

ブログと同じ名前のチャンネル名にした。

youtube.com/@user-dv7cp8mk1q


ここに、どんな動画でもいいから定期的に投稿していきたいと思う。

ぶっちゃけ長く続くとは思ってないが、動画投稿の情熱を持ち直すリハビリだと思って定期的に投稿していきたい。

 


毎週火曜日の週1投稿を目標に動画を上げていきます。

毎週火曜日はジャンプ+の「ダンダダン」の更新日と同じなので覚えやすいだろう。(?)

 


暇がある人がいれば、これがいつまで続くか是非見届けて欲しい。

 


私は5週くらいでギブアップすると思ってます←

 


Flatwoodsチャンネルの動画も並行して作っていきますのでそちらの方だけでも見てみて下さい。

 


それではまた。

掃除していたら男に声をかけられた。

 

仕事の最中に、

夜の寒空の中

1人で外の落ち葉を掃除していた。

慣れない竹箒に悪戦苦闘していると、

 


「お疲れ様です。」

 


と声をかけられた。

(私に声をかけたのか、?)

と顔を挙げてみると

スーツ姿の男が立っていた。

少しスーツの着こなしがだらしない気がした。


(社内の誰かか?)

と思ったが、

いや、こんな人は見た事ない、、


そう思いながら

「あぁ!こんばんは!」

と返事を返してみた。

 

すると男は真顔で立ち止まり、

少し驚いた目でこちらをじぃ〜と覗き込んできた。

なんだか挙動不審だ。


恐怖を感じたが

(ど、どうも、、)

とこちらも戸惑いつつ会釈をすると


男は堰を切ったようにめちゃくちゃ早口で

「いやー、寒くなりましたね。あったかいのかと思ったらまたすぐ寒くなってほんと大変です。いやそれから〜〜〜」

聞き取らせる気の無いような早口で天気や気温の事をバーッと口にしながらそのまま歩き去っていった。


(なんだったんだ、、)

そう思いながら、また落ち葉を掃こうとすると、男がくるっと方向転換し、またこちらにズンズンと向かってくる。


「それじゃ、お疲れ様。」

これまた早口で、そう言って初め来た方向にまた戻っていった。


つまり僕の前を通り過ぎてUターンして、また来た道と同じ方に歩き去っていったのだ。

なぜ??

 


結局社内の人でも何でも無い人で、

会ったこともおそらく無い。

まぁまぁ怖い気持ちになった。

 

 


しかし、後になって考えてしまった。


怖い気持ちになるのは変ではないか。

シチュエーションだけ見れば、

『外で掃除をしていて、街の人に挨拶された。』

という何気無い事。


例えばそれがおばあさんだったらどうだろう。

「お疲れ様。いやー寒いねぇ。あったかくなったと思ったらまた寒くなって〜」

と話しかけられたらどうだろう。

きっとほっこりして優しい気持ちになるのではないか。


例えばカタコトの外国人ならどうだったろう。

「オツカレサマです!サムイなりましたね!」と

話しかけられたらどうだろう。

少し嬉しいと感じるのではないか。


ではなぜ僕はあの男に恐怖を感じたのだろう。

挙動不審だったから?

挙動不審だと思ったのは私の感想であり、本人は至って普通だったかもしれない。


つまりあの人の表情、服装、体勢、声の掛け方、

それらを総合してあの人が声を掛けてくる事に違和感を感じたのではないか。


例えば私が街に歩いていて、横にいる人に

「こんにちは。今日は寒いですね。」

と声を掛けたらどう反応されるだろうか。

僕は話しかけたら恐怖を感じられてしまうのだろうか。

それともギョッとされて無視されるだろうか。

それとも意外にも「そうですね。」とにっこり答えてくれるだろうか。

 


世の中から僕は『声を掛けてきても違和感がない存在』として見られるだろうか。


少し興味が出た。

 

 

あの時の声を掛けてくれたサラリーマン?の方、驚いてしまってすみません。

また会えたら是非挨拶して下さい。

今日パソコンを買った。

 

今日パソコンを買った。


私は動画制作をしているのだが、

今のノートパソコンでは動画制作がしんどくなってきた。

そろそろデスクトップに替え時かなと。


今日パソコンを買った。


まぁ10万もだせばまあまあのやつ買えるっしょ。

という軽い気持ちで購入を検討していたのだが、


今日パソコンを買った。


ドスパラに意気揚々と乗り込んでなんだかんだ見て、パソコン工房のと比べたり、ソフマップを覗いたりしながら、


今日パソコンを買った。


『あれ、、こんなにするのか?

でもこっちの方が安いぞ?

あ、なるほどそこが結構古いやつなのか。。

動画編集にはこれくらいのがいるのね。。

てことは、これとこれとこれがついてるやつで、、』


今日パソコンを買った。


本体だけで21万。

うそでしょ?


動画編集でそこそこのスペック欲しいってなるとここまでかかるのか。。

 

逆に大学生の頃に買ったノートパソコンで動画編集を続けてきたが結構凄いことしてたのか?


ってか、もしかして今の主流ってゲーミングノートパソコン?

ノーパソの方が量多いし、全面に押し出されてた。


まぁ、これから長く使うだろうし、

20万超えてもいいか、もう。

 

 

 


今日パソコンを買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで

試行錯誤しながら動画を作ってます。

それぞれ更新はめちゃくちゃ遅いですが、

よかったら見てみて下さい。

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缶コーヒー1杯で幸せになる方法。

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いきなりすみません。

最近、久しぶりにドラマを見まして、どっぷりハマってしまいました。

「だが、情熱はある。」というドラマで、

現在活躍するある芸人さん達の半生をドラマ化していました。

 

 

 

その中で何度も出てきたセリフ

「今幸せ?」

が今の自分に深く刺さりまして。

 

 

 

皆さんはどうですか?

今幸せですか?

 

 

 

少し気になって、

色んな人に同じ言葉を問いかけてみたんです。

 

「あなたって今幸せですか?」

って。

 

 

その返答が私の予想とは全く違いました。

 

 

 

聞いた全員が「幸せ」と答えたんです。

(本当数人に聞いただけですが、、

 

 

 

私は自分の事を幸せだとは思ってません。

めちゃくちゃ不幸な人生だとも思ってませんが、少なくとも『今幸せですか。』と聞かれて、『はい、幸せです。』なんて答えが1ミリも出てきません。

 

 

 

というか、世の中の大多数の人は幸せだと感じてないだろと思ってました。

ピラミッドの様に少数の「幸せに生きてる人達」の下に沢山の「幸せになりきれない人達」がいる物だと思ってました。

 

 

 

まさかこっち側が少数派なのか!??

そんなにみんな幸せを享受できてるのか!??

 

 

 

世の中の多くの人は、幸せを味わって生きているんだなと、

そして、自分は幸せを享受できない人間なんだと、

まあまあ衝撃を受けたのを覚えています。

 

 

 

今、同じ衝撃を受けてる君。

ちょっとこっちにきてくれ。

そんな君に少し聞いて欲しい話があるんだ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わってコーヒーについて。

 

 

 

 

私はコーヒーが好きです。

 

 

 

子供の頃は苦手で

「これを飲むならコーラの方が1億倍いい。」

と本気で思っていましたが、今はそれが逆転するくらい、毎日飲んでいます。

 

 

 

そして仕事中やちょっとした休憩に便利なのが缶コーヒー

 

 

 

缶コーヒーって普通のコーヒーとは違う、独特の味がしません?

 

 

 

あれは、大量生産する為に&缶に入れて保存する為に、様々な加工をしたり、工業用の豆にしたり、時間経過で味が変わって行ったりと、

そんな理由から、缶コーヒーは独特の味わいになるそうです。

 

 

 

「缶コーヒーの味は好きじゃない」というコーヒー好きの方も多くいるようですが、

私は逆にあの缶コーヒーの独特の味が好きです。

 

 

 

缶コーヒーを自販機で買うと120160円くらい。

 

 

 

子供の頃に比べるとドンドン値上がりしていますね。

それを毎日買ってしまうとまぁまぁな出費になるわけです。

 

 

 

自販機のボタンを押す時、

160×30日で、だいたい5千円くらい、、なんか勿体無い気がする、、」

と、少し罪悪感を感じながら押してしまいます。

 

飲みながらも、

「水筒に自分で作ったコーヒー入れてきた方が安いのか、、?沢山飲めるし、、いや、でもいちいち洗ったり作ったりするのもな、、少しはコーヒー我慢する日を作れば節約にもなるのか、、?、」

などと考えてしまいます。

 

 

 

書いてて「こいつは幸せになれねぇな」と思ってしまいましたが、

それくらい、何故か小さな罪悪感とともに缶コーヒーを喉に流し込んでいます。

 

 

 

でも今日、ふと気づいたんです。

 

「あれ、俺160円で小さな不幸を買ってないか、、?」

と。

 

 

 

 

自分の好きなコーヒーを買って、一時の休息をしていたはずが、

なぜか気付いたらお金を払って少し不安になってるんです。

 

 

 

なんだこれ。

何が悪いんだ?

 

と、冷静になって考えました。

 

 

 

そこで先程の事を思い出しました。

 

 

 

あぁ、私は幸せを不幸に捉えてしまっているんだなと。。

本来なら幸せに感じれる事を素直に『幸せ』と捉えられていないのだと。

 

 

 

今回のコーヒーの事だけでなく、

今まであった不幸な出来事も、もっと言えば不幸にもなり得なかった普通の日常の中にも、

私が捉えきれなかっただけで、『小さな幸せ』は沢山散らばっていたのかもしれないと。。

みんなが当たり前に得られている幸福を、私は得れていないのだと。。

 

 

 

まじかぁ、、という感情になりましたが、

逆に言えば、「自分は幸せを不幸だと捉えがち」と自覚していればいくらかマシになるのかもしれません。

 

 

 

僕らは不幸な現実を変えたいと思うけれど、

それはただ考え方を変えるだけで、

幸にも不幸にも変幻自在なのです。

不幸と書かれたA4の紙の裏をめくると、必ず幸と書いてあるはずです。

 

 

 

そう思う様になってからは、缶コーヒーを「小さな幸せ」として、飲み干せるようになりました。

 

 

 

 

、、嘘です。

今だに、拭えきれない小さな罪悪感を感じながら飲んでいます。

 

 

人間、そう簡単には変わりません。

でも、楽にはなった気がします。

 

 

 

 

このブログについて

はじめまして。

梅干んじ(うめほし んじ)と申します。

好きな食べ物は梅干しです。

しそ・はちみつ問わず大好きです。

 

 

早速ですが、

最近、「歳を取ったなぁー」と感じる事はありませんか?

 

 

物の名前が出てきづらかったり、

すぐ疲れる&疲れが取れなかったり、

食べ物の志向が変わったり、

 

 

そんな自分の変化は、皆さん少なからず感じてると思うのですが、

私が最近、「歳を取ったんだなぁー」と感じたことは、

 

 

 

「人に自分の考え・感じた事を伝えたいっ!!」

 

 

 

と思うようになったことです。

 

 

 

「そんな事、何も普通のことだろ!」

と思う人が多いかもしれませんが、

私にとってはその感情が自分の中に芽生えたことがとても不思議でした。

 

 

 

何故なら私自身、普段から積極的に人に話をしに行ったり、話を聞きに行くというタイプではないのです。

どちらかというと、会話がめんどくさく、受動的なコミュニケーションばかりをしてきた人間でした。

 

 

 

皆さんの周りにも居ませんか?

せっかく飲み会に来ているのに、端の席で相槌や笑みを浮かべるだけで、

「あれそういえばアイツ、今日の飲み会で一言もしゃべってなくね?何しに来てんの?」

ってなるヤツ。

 

 

 

 

 

そう、アイツが私です。

 

 

 

 

そんな私が、

誰かに話しを聞いて欲しくなってきたのです。

これが単純に歳のせいかと言われれば疑問ですが、、

 

 

「じゅあ、誰かに話し聴いてもらえば。」

 

いや、違うんですよ。

 

 

 

メンドクサイ奴だと思われるかと思いますが、

【私の考え】を【私】から話すのは、

恥ずかしいというか、気乗りしないんです。

自分じゃない誰かという別のスピーカーを通じて喋りたくなったんです。

 

 

 

なのでこのブログを作りました。

暇な時にだらだらと更新していこうと思いますので、良ければ是非。

 

 

 

 

 

※タイトルは思いつかなかったので、

「もうこれでいいか、」と付けました。

でも、やっつけ感のある自分の人生にはあってる言葉かなと思ってます。