いきなりすみません。
最近、久しぶりにドラマを見まして、どっぷりハマってしまいました。
「だが、情熱はある。」というドラマで、
現在活躍するある芸人さん達の半生をドラマ化していました。
その中で何度も出てきたセリフ
「今幸せ?」
が今の自分に深く刺さりまして。
皆さんはどうですか?
今幸せですか?
少し気になって、
色んな人に同じ言葉を問いかけてみたんです。
「あなたって今幸せですか?」
って。
その返答が私の予想とは全く違いました。
聞いた全員が「幸せ」と答えたんです。
(本当数人に聞いただけですが、、
私は自分の事を幸せだとは思ってません。
めちゃくちゃ不幸な人生だとも思ってませんが、少なくとも『今幸せですか。』と聞かれて、『はい、幸せです。』なんて答えが1ミリも出てきません。
というか、世の中の大多数の人は幸せだと感じてないだろと思ってました。
ピラミッドの様に少数の「幸せに生きてる人達」の下に沢山の「幸せになりきれない人達」がいる物だと思ってました。
まさかこっち側が少数派なのか!??
そんなにみんな幸せを享受できてるのか!??
世の中の多くの人は、幸せを味わって生きているんだなと、
そして、自分は幸せを享受できない人間なんだと、
まあまあ衝撃を受けたのを覚えています。
今、同じ衝撃を受けてる君。
ちょっとこっちにきてくれ。
そんな君に少し聞いて欲しい話があるんだ。。
話は変わってコーヒーについて。
私はコーヒーが好きです。
子供の頃は苦手で
「これを飲むならコーラの方が1億倍いい。」
と本気で思っていましたが、今はそれが逆転するくらい、毎日飲んでいます。
そして仕事中やちょっとした休憩に便利なのが缶コーヒー。
缶コーヒーって普通のコーヒーとは違う、独特の味がしません?
あれは、大量生産する為に&缶に入れて保存する為に、様々な加工をしたり、工業用の豆にしたり、時間経過で味が変わって行ったりと、
そんな理由から、缶コーヒーは独特の味わいになるそうです。
「缶コーヒーの味は好きじゃない」というコーヒー好きの方も多くいるようですが、
私は逆にあの缶コーヒーの独特の味が好きです。
缶コーヒーを自販機で買うと120〜160円くらい。
子供の頃に比べるとドンドン値上がりしていますね。
それを毎日買ってしまうとまぁまぁな出費になるわけです。
自販機のボタンを押す時、
「160円×30日で、だいたい5千円くらい、、なんか勿体無い気がする、、」
と、少し罪悪感を感じながら押してしまいます。
飲みながらも、
「水筒に自分で作ったコーヒー入れてきた方が安いのか、、?沢山飲めるし、、いや、でもいちいち洗ったり作ったりするのもな、、少しはコーヒー我慢する日を作れば節約にもなるのか、、?、」
などと考えてしまいます。
書いてて「こいつは幸せになれねぇな」と思ってしまいましたが、
それくらい、何故か小さな罪悪感とともに缶コーヒーを喉に流し込んでいます。
でも今日、ふと気づいたんです。
「あれ、俺160円で小さな不幸を買ってないか、、?」
と。
自分の好きなコーヒーを買って、一時の休息をしていたはずが、
なぜか気付いたらお金を払って少し不安になってるんです。
なんだこれ。
何が悪いんだ?
と、冷静になって考えました。
そこで先程の事を思い出しました。
あぁ、私は幸せを不幸に捉えてしまっているんだなと。。
本来なら幸せに感じれる事を素直に『幸せ』と捉えられていないのだと。
今回のコーヒーの事だけでなく、
今まであった不幸な出来事も、もっと言えば不幸にもなり得なかった普通の日常の中にも、
私が捉えきれなかっただけで、『小さな幸せ』は沢山散らばっていたのかもしれないと。。
みんなが当たり前に得られている幸福を、私は得れていないのだと。。
まじかぁ、、という感情になりましたが、
逆に言えば、「自分は幸せを不幸だと捉えがち」と自覚していればいくらかマシになるのかもしれません。
僕らは不幸な現実を変えたいと思うけれど、
それはただ考え方を変えるだけで、
幸にも不幸にも変幻自在なのです。
不幸と書かれたA4の紙の裏をめくると、必ず幸と書いてあるはずです。
そう思う様になってからは、缶コーヒーを「小さな幸せ」として、飲み干せるようになりました。
、、嘘です。
今だに、拭えきれない小さな罪悪感を感じながら飲んでいます。
人間、そう簡単には変わりません。
でも、楽にはなった気がします。